山友の追悼登山で完全燃焼してしまい、すっかり山に足が向いていかない休日が続いています。
先週は、滝山城跡。今週は、八王子城跡を歩いてきました。八王子城跡と言えば、北条氏の城の中でも小田原城ほどではないにしろ、険しい山に築かれて大きな規模をほこり、重要な城だったようです。今まであれば、御主殿(北条氏照の館などがあった場所)を見学した後は山道を歩き、小宮曲輪→八王子神社→松木曲輪→本丸跡→詰城(つめのしろ)まで歩きたいところですが、
どうも坂道を歩く気力もなく、御主殿周辺の散策でお茶を濁してしまいました。いつになったら以前のようにいくつもの低山をつなげて歩けるようになるのやら・・・その内足腰が弱って高尾山もケーブルカーに乗って歩くようになったりして。前置きはこの辺りにして、本題に入ります。まずは、復習の意味も込めて
八王子城とは
八王子城は、小田原に本拠をおいた小田原北条氏の、三代目氏康の三男、北条氏照(?~1590)が築いた山城です。天正10年(1582)頃に築城が開始され、天正15年(1587)頃まで滝山城から拠点を移したとされています。豊臣秀吉の関東制圧の一環で、天正18年(1590)6月23日、前田利家・上杉景勝軍に攻められて落城しました。この八王子城落城が決め手となって、本拠の小田原城は開城、氏照はこの時小田原に籠城中で、兄の氏政と共に城下で切腹し、北条氏は滅亡しました。八王子城は関東屈指の山城です。城は大まかに城下町にあたる「根小屋地区」、城主氏照のの館などがあった「居館地区」、戦闘時に要塞となる「要害地区」に分けられます。
見学するには
駐車場
この駐車場は無料です。
北条氏照想像図
何を基に出来上がったのかは不明。
まずは、北条氏照及び家臣の墓へ
このお墓は、北条氏照百回忌を機に、中山信治さんによって建てられたものだそうです。北条氏照は小田原城下で切腹し、小田原駅近くにも墓が残っています。駐車場を背に、左側に進みます。
少し先には、左側にはガイダンス施設があります。ここは、トイレもあるので(9:00~17:00まで)利用できます。それに中は涼しい。それに、八王子城跡を見学や散策するときの休憩・昼食スペースあり。
駐車場から3分ほどで、バスの停留所。土日祝日はここまでバスで来れるという事でしょうね
さらに左側には、八王子城跡の石柱があります
バスの停留所から6分ほど歩くと、北条氏照及び、家臣墓の標識が現れます
ここを左に進みます
ゆるやかな登り坂になります
案内板から3分ほどで分岐。ここは、停車している車の方向に進みます
前方に橋があり、渡ります
橋を渡り切ると左側に案内板があるので、案内板に従って進みます。
急な階段を登って行きます。右側には「直心参拝の事」と書かれた立札があります。「直心」とは、物事をありのままに純粋に、素直に受け取る心を指しようでう。この心を持って参拝することが「直心参拝」なんでしょうかね。
この階段は、途中に腰かけ椅子もあるので、休憩も出来ます
この先も、階段は続きます
登り切ると、平らな場所があり正面には
北条氏照の供養塔がありました。
供養塔の周りには、たくさんの家臣のお墓も点在していました。
供養塔の右側に道が続いていたので、少し進むことにしました。右下にもたくさんの供養塔が点在しています。一体何基ほどの供養塔があるのでしょうか
さらに進んで行くと、道は急に険しくなりスニーカーで歩くにはちと厳しくなってきた。どうにか立ち木を頼りに登って行くと、汗だくになりながらこの感覚何かに似ていると思い出してきた。そうだ、低山にありがちな険路だ!!思い出したぞ!!また、低山歩いてみよう!!
でも、結局道はここから先は進めませんでした。
下りは、登りが急な分慎重に歩きます。来た道を戻り、供養塔に刻まれた文字を判読してみようとよく見てみましたが、判読できませんでした。残念
今日はこの辺で。