御幸ヶ原は、時折風が吹くと寒さを感じたが、少し休憩したのち男体山に向かう
お茶屋さん脇の階段を登って行く
自然研究路の入口に来ると、大きな石があり立身岩屋●●親鸞聖人と刻まれていた。
調べて見ると、
むかし、親鸞聖人*1が筑波山に参詣したときのことです。
山に登る前の晩、ふもとの宿で眠りにつくと、聖人の夢の中に一人の子供(老婆ともいわれる)があらわれ、「私は筑波権現*2の使いである。明日、筑波山の三つの岩屋(洞穴)のうちの中の岩屋に来ていただきたい。」というと、ふっと消えてしまいました。
明くる日、聖人は不思議に思いながらも、その岩屋に行ってみると、そこには大きな釜があるだけでした。(これはいったい何なのだろう。)……聖人がしばらくあたりを見まわしていると、岩屋の奥からやせ細った餓鬼*3たちがぞろぞろ出てきたのです。
「私どもは人間界にいたとき、欲深でだらしない生活をしていたため、罰があたって餓鬼道に落ちてしまいました。筑波権現のお慈悲でここにすまわせてもらっていますが、毎日、釜の水を一滴だけしかいただけません。二滴目を飲もうとすると水は火となってはらわたを焼きつくすのです。聖人、どうかこの苦しみから救ってください。」と泣きながら何度も訴えるのです。
聖人は哀れに思い、「それならこれまでの行いを悔い、心を込めて念仏を唱える以外に道はない。」と諭しました。
餓鬼たちは聖人の教え通り、一心に念仏を唱え始めました。二日二夜、餓鬼たちとともに念仏を唱え続けた後に、聖人は餓鬼たちに「水を飲んでみなさい。」と言いました。餓鬼たちは恐る恐る水を口に含んでみました。すると、これまでのような苦痛がまったくなく、いくらでも飲めるのです。さらに一日念仏を唱えさせると、天空から五色の雲が岩屋に降りて来て、餓鬼たちを乗せ、西方の極楽浄土*4に向かって消えて行ったということです。男体山頂の下、自然研究路の入口近くに大きな石があり、そこが親鸞聖人が「餓鬼済度*5」をしたところと言い伝えられています。
また、この巨岩は「立身石」と呼ばれています。その名は、間宮林蔵*6が十三歳のとき、この石に立身出世*7を祈願し、後に樺太探検の大偉業を成し遂げたことに由来するといわれ、後に、この石にお願いすれば、進学や就職などの希望がかなうと信じられるようになったのだそうです引用元:茨城いすゞ自動車株式会社公式ホームページ
左側の指導標に従って木段道を登って行く。この辺りで風が止み少し温かく感じるようになって来た
登山を始めてからよく感じるのですが、人それぞれダウンを着こんで汗一つかかずに登る人もいれば、私のように汗かきで暑がりもいる。根本的な問題として体感温度の違いだけなのだろうか?そう言えば、米軍の基地があり寒~い日でも、半袖短パンの基地の人を見かけることが多い。
やがて、巨岩帯の登りが出て来る。かみさんに行けるかと聞くと子供が登って行くんだから登れるよと一喝される。子供たちは身軽な上に空身なんだけどと言いたかったが、反撃されると困るので止めにした
当たり前のことだが、こういった場所は登りよりも下りが厄介なので帰りの道を考えながら登る
かみさんも少し遅れて巨岩帯をクリアしたようだ
そして、男体山山頂へと続く最後の石階段
男体山山頂に到着
標高871Mとあったが、なかなかバリエーションにとんだコースを堪能できた
男体山御本殿で、無事に下山出来るようにお祈りをして下山ん取り掛かる
休憩する場所もあまりないのでそのまま御幸ヶ原まで戻る
下りの石段下り。手すりが設置されているので補助的につかまり
巨岩帯の下りを降りて、御幸ヶ原へ
お次の女体山に向かう
今日はこの辺で