「滝山城」は、大永元年(西暦1521年)に武蔵守護代の大石定重が築城し、後に大石氏の養子になった北条氏照(小田原北条氏四代氏政の弟)が拡張、改修したとされてきました。しかし近年の研究により、北条氏照は、由井領を支配していた大石綱周の養子になり、「浄福寺城(由井城)」(八王子市下恩方町)に居住し、その後、永禄10年(1567年)までに滝山城を築城して移転したと考えられてきています。
小宮曲輪から三の丸入口
三の丸に行くその前に遺構説明板で現在地の確認
次は三の丸へ
指導標に従って進むも、残念2箇所とも通行止めでした。
上の場所は、ARポイントでしたのでアプリの映像で楽しみました
行けないこともなさそうですが・・ここは諦めます
三の丸から千畳敷
次は「千畳敷」に進みます。
指導標に従って進んで行くと、名前に負けない大きな広場のような所に出ました
ここには、ベンチとテーブルも設置されておりハイキングにもちょうどいい感じがします。ただしこの時期は無視が多いので、スプレータイプのムヒの虫よけスプレーは必要ですよ。
この千畳敷の左側には、「角馬出」がありこのように侵入者たちを苦しめたことでしょうね。
千畳敷から弁天池跡
さらに千畳敷の北側に進んで行くと眼下には「弁天池跡」がありました。あくまで跡ですよ。
弁天池跡から二の丸分岐
弁天池跡をあとにして、元来た道を引き返す。
続いては、二の丸になります。がここも通行止めのようでした。右側に重機も見えたのでここも諦めるしかないようです。
ここで、この城跡の通行止め情報をまとめてくれた地図がありました。
「三の丸」にも行けなかった・・・「二の丸」にも行けそうもない・・・こんな時は、「滝山城城攻めマップ」と「ARアプリ」が役に立ちました。一旦「千畳敷」方面に戻り矢印の道から二の丸を目指した。当時は、もちろんスマホはないので、建物を目標にして道なき道を進んだのだろうか?側面からの攻撃に注意しながら・・・
いよいよ集中防御の二の丸へ続く