一日で落城した八王子城跡を歩いた②

この記事は約3分で読めます。

北条氏照の供養塔を後にして、管理棟に向かいます。この管理棟の脇にはトイレがあります。そして、前のブログにも書きましたが、この管理棟では、管理棟から御主殿跡までボランティアによるガイドも行っているのでぜひ一度お願いしてみるのもいいかもしれませんね。私も次回は、お願いしてみようと考えています。そして、是非ともガイドさんにお聞きしたいことがあるんですよ。

八王子城跡管理棟

この建物は、管理棟です。八王子城跡の歴史を知る上でのパンフレットもあります。

管理棟を背にして歩いて行くと、古道・御主殿跡の案内があります。案内に従って

階段を下って行きます。

下り切った先には、古道が伸びています。この古道は、調査によって戦国時代には御主殿にはいる道として使われてきたようです。

古道を歩いていると、右側に橋が見えてきました。この橋は、ガイドさんと一緒でないと渡れないようです。このような、ガイドさんと一緒でないと歩くことが出来ない場所が数か所あるので是非一度はお願いしたいものです。

御主殿跡・曳橋(ひきはし)方面の分岐

少し歩いて行くと、御主殿跡・曳橋(ひきはし)方面と御主殿の滝方面との分岐が現れます。どちらも、御主殿跡には行くことが出来るので心配はいりません。

御主殿跡・曳橋(ひきはし)方面に歩いて行くと、橋が現れるので橋を渡ります。

橋を渡ると、広場のような場所に出ます。この場所は、現在は埋め戻されていますが、昭和63年の調査で門の礎石や敷石が見つかったそうです。大手門は城の表門にあたり、このあたりが八王子城の正面口であったと考えられています

道なりに進んで行くと階段が出てきます。

階段を登り切ると、道は緩やかな登り坂に変わります

さらに歩いて行くと再び階段道に変わります

階段を登り切ると再び橋が出てきました。

敵の侵入を防ぐ曳橋

橋を渡ると道は、右側に大きく曲がり歩いて行くと正面に、曳橋(ひきはし)が見えてきました。

曳橋(ひきはし)

整備された御主殿跡に入るための通路として、城山川にかけた橋です。当時は、この位置に簡単な木橋をかけ、その橋を壊すことで敵の侵入を防いだと言われています。

そう言えば、滝山城跡にも曳橋がありましたね。なんとなくですが、八王子城跡よりも、滝山城跡の曳橋の方が、当時のイメージが彷彿される感じがしますね。下の写真は、滝山城跡の曳橋になります。

曳橋方面に進みながら、もう一枚写真撮りました

御主殿まであとわずか!!

橋を渡り切ると、正面には石垣が現れます。

石垣沿いに付けられた道を大きく左に曲がり進みます。そして、そこから今度は大きく左に曲がる道が付けられ、そこから階段通路が出てきます。曲輪の出入り口のことを虎口といい、石垣や石畳はなるべく当時のものをそのまま利用し、できるだけ忠実に復元したそうです。

ここで、パンフレットに出ていた用語解説を載せておきます。イラストを見るとよくわかると思いますので。

用語解説