中里介山さん(大菩薩峠の作者)の墓所を訪ねる

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以前、中里介山さんが「大菩薩峠」を執筆した山荘である”勝縁荘”を脇を通った。そして、本の内容がとても気になり中古の文庫本を取り寄せて読んでいくと山の物語ではなく時代劇物であり、さらにいろいろと調べていくうちに近くに墓所があることがわかった。笑い話になるかもしれないが、中里介山さんの墓所を、思い込みの激しい私は、中山介山の墓所と思い込んでいて、同じような名前だな?と勘違いをしていたのであった。下車駅は、羽村駅。羽村駅を背にしてまっすぐに伸びた道を歩いて行くと新奥多摩街道に道を合わせるが、新奥多摩街道を渡り羽村の堰方面に直進

ルーテル羽村教会を左手に見て丸石を積み上げた塀沿いに進む

 赤い丸で囲った所に

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 介山先生墓地の案内板がある

指導標に従っていくと

禅林寺駐車場を直進する

道幅の狭いところを、塀沿いに沿って歩く

ここからこのように案内板が何箇所か設置されているので迷うことはない

しばらく歩いて行くと左側に墓地が見えてくる

ブロック塀にもこのように案内板

さらにしばらく歩いて行くと、中里家之お墓があるのでここを左手へ

墓地内を歩いて行くと、道が二手に分かれるがどちらに進んでも

 中里介山さんのお墓には、到着できる

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お墓の横には、中里介山さんの簡単な説明もある

 これは、大菩薩峠にあったもの。なんとなく似ている気のするが・・・

内容については、あえて書かないが物語の途中に見聞きした地名が随所に出て来て、なんとなく親しみがわくことは確かであるが、この距離を昔の人達は現実に歩いたのだと思うと驚くばかりである。もちろん山越えの場面も随所に出て来るが今に比べて道もさることながら草鞋?草履で歩くわけなのでいったい予備のものは何足くらい持ち歩いていたのだろうかとかそんなことを想像してしまうこともある。

今日はこの辺で