手首をねん挫していた、かみさんが大分回復してきたので、山歩きを再開したいということで、ではミシュラン高尾山にでも行く?と聞くと何と弱気なこの返事。高尾山も登れるか分からないよ。ではでは、まだ見学したことのない八王子城跡ガイダンス施設を見学したのち、北高尾山稜のほんの触りの部分である本丸跡までのコースを往復して来た。 棟の中には八王子城跡御主殿の発掘の際に出土したものが展示されていた。
」
まずは、八王子城について、紹介してみたい。
八王子城とは
八王子城は、小田原に本拠を置いた小田原北条氏の、三代目氏康の三男、北条氏照は築いた山城です。天正10年(1582)頃に築城が開始され、天正15年(1587)頃までに滝山城(八王子市丹木町)から本拠を移したとされています。豊臣秀吉の関東制圧の一環で、天正18年(1590)6月23日、前田利家・上杉景勝軍に攻められて落城しました。この八王子城落城が決め手となって、本拠の小田原城は開城、氏照はこの時小田原に籠城中で、兄の氏政と共に城下で切腹し、北条氏は滅亡しました。
引用元:国史跡八王子城跡ガイダンス施設資料
次に、屋外模型を見学に向かう
緩やかな坂を登って行く先には
休憩用のベンチとテーブルがある。
そしてこれが屋外模型。想像していたものとは異なったものだった
八王子城跡見学も終わったので、、いよいよ本丸跡までのハイキング。まずは、木製の橋を渡り、
鳥居をくぐり、本丸に向かう
鳥居をくぐると、階段状に道が付けられて
旧道と新道との分岐になる
緩やかな坂を登って行くと、再び鳥居をくぐる
ここから先はしばらくは、階段状の道が続く。豊臣秀吉の時代と道は違えども、この坂を何万という兵士が本丸めがけて鎧やら槍を担いで登って行くのだから、昔の人の体力には、恐れ入るものだ。
この石を積み上げた階段状の道は、当時の名残なのだろうか
現在人なおかつ久しぶりの軽ハイキングのかみさんは何度も立ち止まり休憩を取る
立ち止まり、見上げた先はこんな感じだった
戦のさなかであれば、後ろから襲い掛かる兵士たちに踏みつけられてしまいそうである。
ここは、階段状の道ではなくまき道を使う
一旦ザレた平坦な場所に到着
どうやらここは、柵門跡のようだ
ここで、一息ついて先に進む。今日はこの辺で