昨年見た、富士登山を目指した富士講の装束

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ここ数年来の、新型コロナウイルス騒動が一段落した今(とは言うものの、都内では、診療が追いつかない。5日間の療養期間を過ぎても症状が収まらい。60代以上の高齢者の感染も増加していると話も漏れ聞こえてくる。沖縄や九州では感染者が急増しており、本州に広がる可能性もあるかもしれない)そんな中、山梨県側の吉田ルートには、去年の3倍近い2000人を超える登山者が訪れたようだ。そして、 山小屋に予約が殺到し“満室”になったことで急増する“弾丸登山者”に注意喚起がなされている。弾丸登山が悪いとは言わないが、ただし高山病や軽装備による自力で下山ができないなどの事態は避けないと各方面に迷惑が掛かると思う。そんな中、昔の富士講の登山者は、どんな装束や日程で富士山に登ったのだろうか?考えていたら昨年「富士山信仰の起源と変遷や歴史の収納品で歴史を身近に」の展示を見に行ったことを思い出し、ブログにアップした

今回この展示は、主に10のブースに分かれている

  • 富士山との出会い
  • 人はなぜ富士山に登るのか?
  • 富士登山の今昔
  • 富士山信仰の起源と変遷
  • 富士山昔ばなし
  • 御師町賑わいシアター
  • 吉田の火祭り
  • 富士吉田の歴史
  • 富士山と暮らし
  • ヘリテージ富士

入口に入ると左手には、富士塚?がある

江戸時代の富士講のスタイルを味わえる白装束や管笠を着て写真を撮ることが出来る

念のため受付で、展示物の写真撮影が可能なのかと、さらにブログに写真をアップしても良いのかをお聞きして許可を頂いた。

入り口には「富士山」と書かれた大きな鳥居がある

ここから先は、自分として興味のあった展示物だけアップする。左が先達の装束で右が剛力の装束と書かれてあった。

山役銭と入山料が書かれていた。

このプロジェクションマッピングは、何度見ても圧巻だった。

大正時代から昭和10年代 「菅笠(すげかさ)と着茣蓙(きござ)を着用する登山者。」

この着茣蓙で雨や寒さを凌いだのだろうか。足元は地下足袋。一体何足持って行くのだろう?

昭和8年 荷物を背負う強力さんたち。まったく疲れが見えないのが素晴らしい

大正時代から昭和10年代 「行衣姿の富士講とカンバンやドテラを着る剛力」

カンバン=強力が着用する法被(法被)出入りしている御師の家紋・屋号や富士講の印が入っていた。みなさん、とても山頂まで歩き切ったとは思えないほどの精悍な面構えをされている。もちろん一合目から登られたのだろうが、何日間かけて登ったのかそんな行程表を一度見てみたいものだ

金剛杖。一番上の石楠花製の杖は、石楠花は貴重な木のため、富士講のリーダーである先達(せんだつ)など限られた人しか持っていなかったようだ

大正時代「なべ屋のマネキ」

マネキ=富士登山の団体や個人の名称を記した旗、板、紙。マネキの大半は富士講が奉納したもので、富士講の印が染め抜かれている。

コロナ前に、自分も弾丸で田子の浦から山頂を目指したが、あえなく5合目まで到着してギブアップしたことがある。機会があったらそのブログもアップしたい。