まずは、①の船津胎内樹型のお勉強から
②は、入洞前の富士講について
いよいよタイムスリップ・・・江戸時代の富士講信者になったつもりで
いよいよタイムスリップ・・・江戸時代の富士講信者になったつもりで
無戸室浅間神社からスタートになる。
浅間神社の左側には、御朱印・お札等々がある
右側には、ヘルメットもあり天井部の低さがうかがい知れる。今回は帽子を着用していたので、ヘルメットはお借りしなかった。
お賽銭箱の裏手が入口となっている。出だしから天井の低さに驚きだった。古の信者たちも驚いたことであろう
天井の岩にヘッドバットを喰らわないように腰をかなり屈めて入洞。後ろから入洞した、家族連れのお父さんが、もう無理・・・腰が痛いと・・・言っていたのには思わず笑ってしまう
案内図書かれていた、まさしく肋骨を連想させる溶岩・・・にしても、自然化が作りだした不思議な世界。
融けた溶岩が作り出した、肋骨のような道を進んで行くと
ここが行き止まり・・・ライトが明るく照らされていてこの先に進めないことが分かった
ここは17世紀の初頭、長谷川角行が富士登拝時に船津胎内樹型に含まれる溶岩樹型のうちの一部を発見し、その内部に浅間大神を祀ったといわれているようだ
母の胎内へ
一旦戻り、母の胎内に進んで行くと、さらに狭い道となる。少しでも油断すると天井部に自らボボブラジルようにヘットバットを喰らわすことになる
なぜか?臆病のはずのかみさんが、先頭を歩いて行く。さすがに母・・・
さらに道は狭くなって来たしゃがむか、四つん這いにならないと通過が出来なそう
お分かりになるだろうか?この狭さ・・・なかなか日頃の生活ではここまで自分の姿勢を低くすることはない。自分としては、娘の新築の家の床下にもぐった時以来だ
とうとう四つん這い状態になったかみさん・・・母はつよし・・・
どうやらここが、母の胎内の行き止まり。大人が何人ほどここに入れるのだろうか?
母の胎内へ到着
手を合わせるかみさん・・・古事記にあるように木花咲耶姫命が出産した場所であると伝えられ、安産、子授けの御利益があるようだ
来た道を戻り、父の胎内へ
今日はこの辺で・・