<50km>
5県(茨城・埼玉・千葉・群馬・栃木)を歩くコース
田中正造翁遺徳之賛碑(スタート)⇒古河市消防署⇒五霞町中央公民館⇒情報・防災 センターごか⇒関宿城博物館⇒道の駅さかい⇒古河福祉の森会館⇒古河公方公園⇒三国橋⇒三県境⇒道の駅きたかわべ⇒谷中湖(渡良瀬遊水地)⇒谷中村遺跡(渡良瀬遊水地)⇒野木町煉瓦窯⇒田中正造翁遺徳之賛碑(ゴール)
ウォーキングイベントには初参加。それもいきなり50キロとは私も、無茶をしたものだ。正直な話50キロ(50.25キロ)なんて、行けると高をくくっていましたが、いや~疲れました。途中、同年代の方の歩くのが早いこと早いこと。よく聞くと”RUN”もやっているようで、あなたも走った方がいいですよアドバイスを頂きましたが、正直走るの苦手なんですよね。途中までは、6時間台後半でフィッシュできると思ったのですが40キロ過ぎたあたりからパタッと足が止まってしまいました。まだまだ、修行が足りないようです。
距離:50.25キロを7時間49分32秒でやっとこさ完歩
来年も参加したいので、茨城県ウォーキング協会さんから頂いた地図を参考にカシミール3Dでデータを作成して、次回使用しようと思います。
2020年7月4日(土曜日)
ここも中止です!!!
第3回日本でここだけ3県境&5県ウオーク大会中止のお知らせ(5/8) 】
この度は「3県境&5県ウオーク大会」に参加申し込みいただきありがとうございました。皆様におかれましては、コロナウイルス禍の影響で様々な生活変容を求められ、不要不急の外出自粛など、制約の多い中で、毎日お過しの事と思われます。
皆様、ご承知のように国外での発病以来、早くも半年近くになります。さる、5月4日(月)には緊急事態宣言の延長(5月31日)が発表されました。
感染拡大は減少の傾向にあるもののまだ油断はできず、参加者と大会運営関係者の健康と安全を第一優先に考えると、このような状況では大会を開催することは困難と判断し、実行委員会は「中止」を決定いたしました。【中止とした理由】
●参加者が全国より、公共機関で参加すること
●受付、もてなしなどの対応時、濃密接触の可能性が大きいこと
●コロナウイルス感染の終息が不明なこと本大会に参加の準備を進められていた参加者の皆様には、大変ご迷惑とご心配をおかけしまして申し訳ございません。何卒、事情ご理解いただきますよう、よろしくお願い申し上げます。
尚、参加申し込まれた皆様には、本お知らせと共に参加費の返金をさせていただきます。
皆様におかれましては、このコロナウイルス禍かの困難に打ち勝って、健康に過ごされる事をご祈念申し上げます。第3回 日本でここだけ3県境&5県ウオーク大会実行委員会事務局
実行委員長 佐藤 進
〒306-0036 茨城県古河市桜町 24-30
TEL080-5538-9639引用元:第3回 日本でここだけ3県境&5県ウオーク大会実行委員会事務局HP
6:00から受付
雨が降っていましたが、天気予報ではあと少しで上がるよう・・
なにせ、ウォーキングイベント参加は、今回で2回目なので持って行くものもよくわからず、100均のポンチョとカッパの足だけは用意。結局カッパの足は使用せず、ポンチョのみ使用。ポンチョは暑くすぐに脱いじゃいましたが・・・
やはり、山のレインウェアがいいのかな?持って行ったカメラを落下させてしまい・・こんな感じの写真しか撮れない・・・・出だしから、ついていない
受付が始まったようなので、土手に向かう
主催者さんのお話の後、体操を行い、注意事項をお聞きしていざスタート
ちなみに今回の参加者は、事前予約の方が160人とのこと
まずは三国橋方面に向かう
三国橋の下をくぐり橋を越えたあたりで再び土手を上がり、上がったところで、自由歩行に変わる
だんだんと列がばらけてくると
上位三人組はいきなりラン・・・50キロ走るんかね
雨が上がり、曇り空に変わる
このまま、気温が上がらないことを祈りたいが・・・
ありゃ~置いてきぼりだ
宇都宮線の高架線の下を左折(7:28)
こんな感じで、指導標はあります
ここで、最初のトイレ場所あります
古河消防署(7:31)
消防署の先を少し行った、石柱の先を左折
(7:31)
市街地に入ったので、???と一瞬思うが、指導標通りのはず
不安な気持ちを押さえて、後ろを振り返るが誰もいない・・
やがて、土手へと続く階段が現れ(7:34)
利根川沿いを歩くようになる
利根川橋を、渡る(7:41)
埼玉県久喜市に入ります
(8:01)東北新幹線線路をくぐる
最初の給水所(9:08)防災ステーション
トイレもあり、水も頂けた。何よりも漬物が美味しかった~
あれ?カメラが電源ボタン押しても反応がない・・・
念のため予備のバッテリーと交換する動いた・・・でも、モードがあっていなと表示される・・いよいよ、来たかなあっ!元に戻った!!遠くに、関宿城(せきやどじょう)が見えてきた。もうすぐ第一チェックポイント
橋を渡り
だんだんと姿を現す、関宿城
長禄元年(1457)、古河公方足利成氏の有力家臣簗田成助が水海城(茨城県古河市)から関宿に移って築城したのが関宿城の始まりと伝えられています。以来簗田氏の居城となった関宿城は、「抑彼地入御手候事者、一国を被為取候ニも不可替候」(喜連川文書)と象徴されるように、後北条氏が北関東へ勢力を伸ばす上で戦略的拠点でした。天正二年(1574)に簗田氏が関宿城を開城し、その後は後北条氏の支城として戦略上重要な前線基地となりました。
天正十八年(1590)、松平康元(徳川家康異父弟)の入城が関宿藩の始まりで、以後江戸幕府は代々ここに譜代大名を配してきました。藩主は八家二十三代にわたっていますが、なかでも久世氏の治世が最も長く、老中などの要職に就き幕府内で重要な地位を占めました。また、川越城や佐倉城などとともに江戸城防衛の重要拠点であり、利根川水運の中継地点に位置していたことから、幕府は関宿城をとても重要視していました。
幕末になると関宿藩内は勤皇・佐幕派に分裂し、波乱の中で明治維新を迎え、明治四年(1871)の廃藩置県で関宿藩が廃止されました。翌年には新政府の方針で関宿城の廃城が決定されました。数年のうちにすべて取り壊され、ここに400年余りに及ぶ関宿城の歴史に終止符が打たれました。引用元:千葉県立関宿城博物館公式ホームページより引用
最初のチェックポイントでスタンプ押して頂く(千葉県)
写真を撮ろうとしたら、とうとう動かなくなる
何度試してもダメだった・・・
後半に続く
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