浅間神社
別名西大久保の厄除け富士とも言われています。古より当地にあった浅間神社は、明治二十七年、しなり鬼王神社に合祀され、昭和五年 西大久保の厄除け富士として復興されることになり、霊峰不二の石をはじめ全国からの銘石をとりよせ建立されました。そのつくりは、境内の自然地を利用せず、すべてとりよせた石で造りあげた為、非常に特色のある浅間神社(富士山)でした。しかし戦中、帝都空襲の為、石の基盤石がゆるまり、縮小・移動を繰り返した結果、現在の形に落ち着きました。一合目から四合目、五合目から頂上までと参道を挟んで二つにわかれた形になる事によって参道そのものが、富士の胎内に通ずる道となっております。この参道から頂上の社をお参りする事は霊峰富士山に籠ってお参りするのと同じご利益がございます。
引用元:稲荷鬼王神社社務所作成の説明書
江戸時代に富士山を霊場とする修験者や富士講の信徒が立ち寄ったと伝えられ、信仰の対象とされていた御胎内があります
馬返し
ここは四合目まで
まずは、一合目
二合目
三合目はどうしても発見出来ず
四合目
参道を挟んで向かい側には、五合目から頂上まで
五合目
六合目
七合目
八合目
九合目
頂上
富士塚詣りをしたお陰で、今日高尾山から陣馬山を往復で歩いた時に、富士山に掛る笠雲見ることが出来ました。
今日はこの辺で