日の出山から御岳山方面に向かう道を歩いていると、道の真ん中に落石。随分前から見掛けたので最近のものではないのだろうが、こんなものが急に上から落ちて来たら当たり所が悪い場合は命の危険すらありそうだ。山ではこんなこともあるものだと今更ながら山の怖さを再認識する。最近は、熊やイノシシなどの野生動物にばかり気にかけていたが、こういったことにも注意しないといけない。
ここにも、落石
やがて、鳥居が出て来る。ここからが御岳山内と言うことだろう。手前に見える指導標は、上養沢に下る道
踏み固められた道を歩いて行く
元気が良ければ、早足で駆け抜けられそうな道・・・情けないか、もう今ではヨタヨタ歩きしかできないが
写真には、写ってはいないが御岳山方面から来るハイカー達大勢とすれ違う。すでにつるつる温泉は休業中であることは承知しているハイカーも多いだろうが、知らずにつるつる温泉のある松尾方面に下ってあれま!休業中だと初めて知るハイカーもいることだろう。
コンクリート道の緩やかな登り
舗装タイルが敷き詰められている道を歩いて行く
右側には山吹・・・「山吹」で連想することは二つある
➀太田道灌が鷹狩りにでかけて俄雨にあってしまい、みすぼらしい家にかけこみました。道灌が「急な雨にあってしまった。蓑を貸してもらえぬか。」と声をかけると、思いもよらず年端もいかぬ少女が出てきたのです。そしてその少女が黙ってさしだしたのは、蓑ではなく山吹の花一輪でした。花の意味がわからぬ道灌は「花が欲しいのではない。」と怒り、雨の中を帰って行ったのです。
その夜、道灌がこのことを語ると、近臣の一人が進み出て、「後拾遺集に醍醐天皇の皇子・中務卿兼明親王が詠まれたものに【七重八重花は咲けども山吹の(実)みのひとつだになきぞかなしき】という歌があります。その娘は蓑ひとつなき貧しさを山吹に例えたのではないでしょうか。」といいました。
驚いた道灌は己の不明を恥じ、この日を境にして歌道に精進するようになったといいます。引用元:江戸東京博物館公式ホームぺージ
⓶これは、テレビの時代劇でよく出て来る時代劇の定番とも言える、お菓子箱の中に小判をしのばせ、越後屋が悪代官に、お代官様「山吹色のお菓子」でございますと賄賂を渡す場面
話がかなり逸れてしまったので、話を元に戻す
久しぶりの急な登りだったので、情けないかな思わず右側に取り付けられた手すりを頼りに歩いた。
ここは、一旦下の坂を登り、左側に進む
右下に見える建物は、駒鳥山荘になる
坂を登り切ると、左右にお土産物屋さんの立ち並ぶ通りになるが、緊急事態宣言中ほとんどのお店が休業中だった。
手水舎もこの状態
山門へと続く石段。
この後も、石段の連続でこの階段が御嶽神社への最後の登りとなる
鮮やかな朱色の本殿
本殿を後にして、長尾平へと続く道幅の狭い下り坂を歩く。
御嶽神社の巻道とここで合流となる
長尾茶屋の立つ御岳長尾平園地に到着。
残念ながら5月1日は休業中であったが、5月3日に孫を連れて登った時は開店していた。
テーブル付のベンチはご覧の様にハイカーの姿はなかった。
5月3日の下見も全て済ませて、下りに取り掛かった
約30分ほどで禊橋に到着。この禊橋は、中里介山さん未完の小説「大菩薩峠」に出て来る関八州の武術者が集まって奉納試合に向かう時にこの橋の名前が書かれていた。
中里介山さんに興味があれば見てみて下さい
5月1日11:00、駐車場に入れない車が数台待機中だった。ここから先は、御嶽駅までは下るのみ。駐車場の混雑状況を2か所ほど情報収集しながら歩くこと20分で
吉野街道の御岳山入口に立つ大鳥居まで戻って来た。
今日はここまで