ところで、江戸時代のお城は、平地につくられ、立派な天守閣がありましたが、戦国時代のお城は、山の地形をいかして築かれることが多く、天守閣の様な建物はありませんでした。この八王子城も、かなりけわしい山に築かれていました。とは言うものの普段は山のふもと(御主殿地区)に屋敷を構えて暮らしていたようです。もちろん、いざ戦となれば、攻めている時は城をうってでますが、城にたてこもって味方の助けをまつ場合は、山のうえの、本丸を中心とした曲輪に入って守ったようです。そして今回は、御主殿地区の様子を書いて行きたいと思います。曳橋を渡り、侵入しづらい工夫の施された虎口(曲輪の出入り口)から御主殿へ進みます
冠木門をくぐります
御主殿入り口の門は、冠木門(かぶきもん)といい、この当時の門をイメージして建てられたそうです。武骨な門構えがいい感じでした。
門を抜けると北条氏照の館があったとされる場所だけに、とても広い場所でした。そして、八王子城が落城した後は幕府の直轄領や国有林であったことから、当時のままの状態で残っていたそうです。
御主殿跡
発掘調査の結果、建物の礎石や水路跡、多数の遺物は出土しました。
会所の床の再現
会所は主殿で儀式を終えた後、宴会などを行った場所と考えられます。広さは11間×6間(20.9m×13.3m)で、北側が主殿と廊下でつながっています。
ガイダンス施設でみた、主殿と会所の推定図
全容が明らかにされていない池跡
会所などで庭園を見ながら宴会が行われていたと考えられているようです。現在は一度埋め戻したと書かれてあります。戦国時代でも、いや!戦国時代だからこそこうゆう風流な宴を催していたのでしょうか
御主殿をひと廻りしたので、
御主殿の滝へ
左側に柵のある道を下って行きますが、雨あがりを歩くには少し注意が必要かもしれません
下り切ると、たくさんのカメラマンが右側の木の上を私ではとても購入できない一眼レフにバズガー砲の様な望遠レンズを装着して撮影されていました。
ここは、下り切って左側に進みます。少し歩いて行くと「御主殿の滝」があります。
この御主殿の滝ですが、こんな言い伝えがあります。八王子城が落城時に御主殿にいた北条方の武将や婦女子らが、滝の上流で自刃して次々に身を投じ、その血で城山川の水は三日三晩赤く染まったを伝えられています。滝の近くまで降りられる道があるので滝の近くまで行って見ました。
この道、少し滑るので注意して下さいね
八王子城に限らず、戦国時代はこのような出来事が日本全国で行われていたのでしょうね。
お供え物のお酒がたくさんありました。
御主殿の滝を後にして、曳橋の下を通る
今回は、曳橋を渡り、御主殿跡を見学しましたが、この御主殿跡・曳橋の分岐を左に進まず、直進して古道を歩いて行くと、御主殿の滝→御主殿跡→冠木門→虎口→曳橋(渡る)コースとなります。
曳橋の下をくぐる
下から見上げる曳橋
城山川沿いの道を、歩いて
管理棟に到着
残念ながら、本丸へと続く山道は暑さのため今回は断念しました。その内歩きますね。
八王子城跡はこれでおしまいです。