いざ!!八王子城、本丸目がけて駆けあがる②

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柵門台まで攻め上り、いよいよ本丸まで今少し!!本丸への道はここまでと同じく登り一辺倒。道幅も狭く横に広がって進むことは困難。どこから、鉄砲や弓矢が飛んでくるかわからない中進んで行く。ところで、この八王子城は前田利家・上杉景勝軍が攻めていたのだがお二人さんは、下で陣を構えて指揮をとっていたのでしょうか?それとも先陣を切って攻めてきたのでしょうか?とても気になるところです。前田利家も上杉景勝の八王子城の前には、北条氏邦が立て籠もった「鉢形城」を開城させた後こちらに来たわけでありまして、その体力には驚かされます。もちろん足軽たちの体力は半端ありませんね

当時の道の詳細は分かりませんがとても現在の道よりも困難だったと思います

高丸

途中、高丸と書かれた指導標識。写真の通りこの先危険で通行は不可でした。高丸で色々と検索してみたのですがこれといったものは出てきませんでした。

この辺りは、九合目の丁目石があります

この辺りで登りが緩やかになってきました。

一旦平坦な場所が現れ、このように腰かけ椅子が出てきました。

ここでは、八王子の街並みが見渡せます

ベンチのあったあたりから、平坦な道が続く

東屋

さらに進んで行くと、東屋が出てきます

この東屋を右側に見ながら少し歩くと八王子神社へ続く石段がありますが、

東屋の裏手には、小宮曲輪へと続く入口があります。今日は、この小宮曲輪方面に行って見ましょう。

踏み跡はあるのですが、実はこの日はスニーカーで登って来たので雨が降った後なので下が少し滑ります。こけないように慎重に進みました

小宮曲輪

小宮曲輪に到着。

小宮曲輪

狩野一庵(かのういちあん)が守備したと言われています。天正18年(1590年)6月23日の豊臣秀吉による八王子城攻めの際に、上杉景勝の軍勢の奇襲に遭い落されたと言われています。ここの陥落が引き金となり、山頂の曲輪が次々と破られたそうです。この小宮曲輪は、三の丸とも一庵曲輪とも言われていたようですね。

この獅子の先には、昔は今にも朽ち果てそうなお堂があった記憶があるのですが、今はなくなっていました。

積み重ねられた石の上にいる、獅子は当時からあるものではないでしょうね。

さらに、

もしかすると今は朽ち果ててしまった、お堂の様な建物の屋根の飾りつけの残骸なのだろうか?何となく記憶にはあります。違っていたらすいません

小宮曲輪には、供養塔かな?もあります。先ほど、上杉景勝の軍勢の奇襲に遭い落されたと書きましたが、とんでもない崖から登ってきた軍勢だったのでしょうかね?

小宮曲輪をあとにして、いよいよ本丸跡へと向かいます。今日はこの辺で