「孝養像」とは、聖徳太子の父・用明天皇の病気平癒を祈る16歳の聖徳太子の姿の事を、「孝養像」と呼び、太子信仰の高まりとともに、孝行と仏教崇拝の象徴として造形化されたもの。その「孝養像」が西多摩にあると見たので行って来た。
場所:真言宗成田山 清宝院
住所:〒198-0086 東京都青梅市大柳町1203
古くは青柳山清宝密院と号す。開基創建は未詳であるが(三度の火災により)境内より燈明皿等出土するを見て室町時代の創建なり。古くより多摩川を中心に南北を結ぶ古街道の傍らにあった。元禄年間(1679年)權大僧都教宝法印が再興し中興第一世となる。二世清宝院代延享年間(1744年)祝融の〇に羅り本堂及び諸堂灰燼となる。以後再建を繰り返す。天明年間(17??年)に至り三世清宝法印之を再考す。以来醍醐寺三宝院末として隆盛す。明治維新の折、一時新義真言宗金剛の末寺となる。。安政元年(1854年)本堂再建始まる。本尊不動明王、?迦羅、制?迦童子は、京都仏師中野法橋の作になるもので成田山新勝寺の本尊を五尺の御姿に写したものである。安政五年(1859年)新勝寺中興第十一世照獄僧正の開眼により馬の背に乗せ招来安置したものである。他に不動三尊二体有り昔より大山寺、高幡不動、成田山を参拝したと同じ霊験あらたかな不動明王と言われている。
聖徳太子の石仏は、大正4年に建立されてもののようだ。まずは、全体のお姿から
続いては、横から
そして、お顔のアップ
そして、足元にある「大亀」とは何なんだろうか?
ちなみに、この清宝院は、「青梅七福神」の恵比寿尊を祀るお寺になる。
清宝院で見つけた、苔が生えた石灯篭。なんとなく落ち着きがでている感じがした。
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