展望が大きい、天覧山と多峯主山を歩いた② 2023/03/08

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前回の山行の概略がこれ

駐車場(飯能中央公園駐車場)に停めていざスタート。駐車場の利用可能時間は8時00分~21時30分、毎週月曜日(祝日の場合は翌日)と年末年始の閉館日は18時00分までとなっているが、隣接する飯能市市民会館で催し物がある際は利用者専用となることもあるので注意が必要。直近の催し物はこの期間らしい

道を挟んで両側に駐車場がある

さらに公衆トイレも併設されているのでありがたいことこの上ない

ルート的には、能仁寺方面に進み、大きな道路を渡り

多峯主山方面に歩を進めた

能仁寺

武陽山能仁寺は、曹洞宗の寺院で、「新編武蔵風土記稿」によると、文亀年中(1501~4年)に中山家勝が斧屋文達を招いて創建したとされる。天正19(1591)年、徳川家康より五石の朱印地が与えられるが、宝永ニ(1705)年、五代将軍綱吉の時に加増される。それに力を尽くしたのが、家勝から四代後の中山直張の子で、黒田家の養子となった直重(のち直邦)である。黒田家は、徳川綱吉が舘林藩主であった時代に家老職であったため、直邦は綱吉が将軍となってから、その小姓となって後破格の出世を遂げ、能仁寺を菩薩寺とした。また能仁寺13世泰州廣基も綱吉の病気を快癒させるなど信頼が篤く、前天台座主一品公辨法親王直筆の山門額を賜っている。能仁寺7は、近世を通じて曹洞宗関三ケ寺の一つである龍隠寺の末寺であったが、飯能地方では20余の末寺を持つ有数な大寺であった。しかし、慶長4(1868)年の飯能戦争で旧幕府方の振武軍の本陣となったため伽藍は焼失し、現本堂は昭和11(1936)年29世荻野活道師によって再建された。

能仁寺を過ぎてすぐに右に曲がる道が出て来る

このように指導標もあるので迷うことはないだろう

しばらく民家の立ち並ぶ道を道なりに歩いて行くと

通行止め(自転車・歩行者を除く)の標識あり

道は良く踏み固められた道に変わる

少し歩いていると、天覧山と多峯主山との分岐が現れた。予習ほとんど0だったので、とりあえず標高の高い多峯主山方面に歩いた

のどかな湿地歩きとなり

今度は、高麗峠との分岐となる。先ほども書いたが予習をしてこないと全くどこがどうつながっているのか分からないので、多峯主山方向に進んだが次回は、予習してから再び来たい

ここは、本郷配水場との分岐。右手に進む

今日はこの辺で