三方山からは、一旦下る
下り切ると、本道と道を合わさる。
指導標には、このように「携帯通信可ポイント」の張り紙があがあったので思わず自分のスマホを見てしまった。よほどのことがない限りは、このコースでSOSはないはずだが、万が一と言うことがあるのでこのような張り紙はハイカーに安心感を与える
木の根の張り出した登りが出て来る
そして今度は木段道・・・本当にハイキングコースのくくりでこのコースはいいのだろうか?油断大敵である
小ピークに到着。
そして登れば降る
急な下りの場所には、このようにトラロープが張られているので、頼り切るのは問題だがお助け程度には有効に活用してもいいだろう
ここは二俣尾駅との分岐。二俣尾駅からは、吉川英治記念館も近い。
二俣尾駅へ下る道は、しっかりと踏み跡もあるので心配はなさそう
ここ下って帰っちゃう?なんて弱虫の自分が出てきたが
気持ちを奮い立たせて、しばらくすると41番鉄塔だ
鉄塔脇の急道を登っていくと
小ピークに立ち、そこから登った分以上に大きく下る
哀れ!後ろから距離を詰めて来たトレラン風の女性に軽く追い抜かれた
小さな祠のある名郷峠(長尾峠)
以前はなかったケルンの上には、鳥居が立っている
木立の中を歩いて行くと、右側には辛垣城跡登り口(急坂)の案内板
こんな、標識見てしまうと登らないわけには行きませんな
踏み跡は、しっかりと付いていいるのでそれに従い登る
歩いていて、それほど急坂?かなぁ?なんて思ってしまう
さぁ~辛垣城まで一気に攻め込む昔の北条氏照の戦士のように突き進んだ
大音声と共に山城に攻め込む!(笑)
これが、辛垣城の歴史である
市指定史跡「辛垣城跡」
ここ辛垣城(標高450メートル)の山頂には、青梅地区の中世の豪族三田氏がたて籠った天瞼の要害である辛垣城があり、市内東青梅六丁目(旧師岡)の勝沼城に対して「西城」と呼ばれた。永禄六年(1563)八王子の滝山城主北条氏照の軍勢に攻められ落城、城主三田綱秀は岩槻城(埼玉県岩槻市)に落のびたが、同年十月その地で自害し、三田一族は滅亡した。城跡にあたる山頂の平坦部は、大正末期まで行われた石灰の採掘により崩れ、当時の遺構は、はっきりしないが、掘り切りや竪堀りをとどめている現状である。
昭和三十年十一月三日指定
青梅市教育委員会
ほとんど、この時代の面影はなかったので、想像してみたがよく分からなかった。
ゆるかな登りを行く
この少し盛り上がっている場所は、なんの跡なのだろうか
辛垣山に到着した。