江古田の富士塚

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■富士塚とは

富士塚

古来より日本人の信仰を集めてきた霊峰・富士は、18世紀頃になると富士信仰・富士登山が盛んになり、江戸を中心に富士講が多数できた。しかし、富士登山は危険でお金もかかるため、老若男女誰でも富士登山ができるようにと、富士山を模した富士塚を各地に築き、親しみを込めて「お富士さん」と呼んでいたとある。

 

そして今回、訪れたのは江古田の冨士塚

■基本情報

住所 練馬区小竹町1丁目59番2号(浅間神社内)
最寄り駅 西武池袋線 江古田駅北口

■練馬区公式HPによると

江古田の富士塚

江戸時代中ごろから昭和初めごろにかけて、江戸八百八講(はっぴゃくやこう)と言われるように、富士山や神奈川の大山に登拝(とはいし)に行く富士講や大山講などの山岳信仰者の集まりが練馬区内にもたくさんありました。 富士講は、霊峰富士に登り浅間神社に参拝することを目的に結成されたものです。年ごとに講の代表者として参拝するものを選び、必要な経費を講員全員で負担していました。富士講がさかんになり、江戸時代終わりごろから富士山に似せた富士塚が各地に築かれました。富士塚に登拝とはいすると、実際に富士山に出かけたのと同じ御利益があるとされていました。 江古田の富士塚は、高さ約8メートル、直径約30メートルの大きさで、通称“江古田富士”と呼ばれています。江戸時代後期に下練馬村・中新井村・中村の各講により構成される「小竹丸祓講(こたけまるはらいこう)」によって天保10年(1839年)に築かれたものと考えられます。大正12年(1923年)関東大震災によって損壊しましたが、その後、復旧工事が行なわれ、塚の一部が富士山の溶岩で覆われています。都内の富士塚の中では規模の大きいものです。毎年7月1日に山開きが行われています。 昭和61年度区登録・昭和54年度国指定

 

北口階段を降りていくと、右側に浅間神社が見えてくる。

駅から、すぐの浅間神社。今まで訪れた冨士塚では最寄駅から一番近い冨士塚である。

鳥居の後ろには大きなケヤキの木が二本立っている。

ケヤキとしては区内有数の大きさで、樹形も良いことから「ねりまの名木」に指定されていると書かれてあった。

樹の高さ 27M
幹の太さ(周囲の長さ) 3.1M

神社で参拝者が身と心を清める「手水舎」は、コロナウィルス感染拡大防止のため使用できなくなっている。

正面には、「江古田浅間神社社殿」

社殿右側に、江古田の冨士塚の入口がある。

残念ながら、門は施錠されており

冨士塚に登山できる、期間は以下の3回に限定されているようだ。もし機会があれば登ってみたい。

外側から、中を覗いてみると、一合目の号目石が見えた。号目石の両脇には

これ、狛犬さんじゃなくて

お猿さんのようにも見えるが、どうなんだろう?

一合目の号目石があるならば、この先もあるのではないかと思いさらに奥を覗いてみたが見つけることはできなかったので、

社殿の左側に回り込んで山頂を見てみることにした。

立派な登山道もあり、これは一度は登ってみたいものだ。

山頂には、鳥居と小祠が見えた。この山頂からの周りの景色の眺めはいかがなものなのだろうか?

今日はこの辺で

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