1970年大阪万博を振り返る「はむら万博展」を見学

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1970年の万博は、両親に連れて行ってもらえなかったので、2025年大阪万博まではあと3年なので是非とも生きながらえて見学したい。当時万博の「ソビエト連邦館の鋭く突き出した塔状屋根」「アメリカ館の月の石」など実物は見れなかった。今だに残念な気持ちで一杯だったところ、羽村市生涯学習センターで「EXPO2022はむら万博-大阪万博から見る今昔と羽村、そして未来」が開催されていることを知り見学に行った。展示物は、数少なかったが、当時の入場チケットや乗り物券があり、金額等がわかりとても興味深かった。ちなみに調べて見ると当時の平均月収は5万円程度だったようなので、我が家では行けなかったのだろうと妙に、この年になって納得も出来た。

万博記念公園公式ホームページによると

会期 1970年3月15日(日曜日)から9月13日(日曜日)までの開催
テーマ 「人類の進歩と調和」
海外参加 76カ国、4国際機関、1政庁(香港)、アメリカ3州、カナダ3州、アメリカ2都市、ドイツ1都市、2企業
国内参加 32団体、展示館32館
入場者数 6421万8770人
1日の最高入場者 83万6千人 ※9月5日(土)に記録
平均入場者数 35万人
入場料 大人(23歳以上):800円
青年(15~22歳):600円
小人(4~14歳):400円

ゆとろぎの分厚い扉が、1970年にタイムスリップするようだった

このこの木製の階段を登っていくと

入り口になる、正面には

当時の万博会場の地図有り。かみさんは2回ほど訪れたようで懐かしそうに眺めていた。自分はと言うと、「ソビエト連邦館」を探したが、なかなか見つからなかったが、実際に行ったかみさんは位置関係をおぼろげながら覚えていたようですぐに見つけた。

入場チケットと乗り物券。デザインは昭和レトロ感が漂っている。

万博の象徴となった「太陽の塔」

わずかな展示物ではあったが、子供の頃のあこがれだった「大阪万博」への思いが再び思い起こされ2025・大阪万博行くぞ~と言う思いが強くなった一日だった。ちなみに、この写真は、2019年大阪に行った時に「太陽の塔」を撮影したものである。

◆1970年のおもな出来事は◆
■大阪の地下鉄工事現場でガス爆発
■三島由紀夫割腹事件
■「よど号」ハイジャック事件
■歩行者天国出現

 

◆1970年のヒット曲◆
■傷だらけの人生
■男と女のお話
■今日でお別れ
■圭子の夢は夜ひらく ■男と女のお話
■手紙
■四つのお願い
他にも、たくさんあって書ききれませんわ

 

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Boo

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