一度ある事は二度ある。またしても志木の田子山富士塚に登れず③

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富士塚とは

富士塚は富士山に似せて造った小さな富士山です。実際には富士山に行けない人が富士山に登ったのと同じご利益が得られるように、江戸時代の後期から、関東地方を中心に造られました。

富士塚のしての要件とは

①「山頂に祠」があること

②「鳥帽子磐」があること

③「小御岳神社」があること

④「黒ボク(富士山の溶岩)」があること

⑤「御胎内(地下洞窟)」があること

⑥「霊峰富士を遥拝」できること。

*この、田子富士塚は、全ての要件を満たしているそうです。

今回は、残念ながら外観しか拝むことは出来ませんでしたが、年内には3度目のチャレンジをしてみたいと考えています。

それでは、富士塚を外側から見てみましょう

石段を数段上がって行くと、唐獅子

右側には、琴比羅神社。

左側には、浅間下社があった。浅間下社は、一般的には浅間神社の下位に位置する社を指します。

ここから先へは進めないので、元来た石段を下りて富士塚を、ぐるりと一周することにしました。

鳥居や石板を見ることが出来る。一つ一つ時間をかけてみて見たかった・・・残念

浅間託宣碑が左側に見えた。託宣碑は、神からのお告げや神意を記したもので、その地域の信仰や歴史に深い意味を持つことがあるようです。

竹垣フェンスに沿って歩いて行く。

田子山富士塚の御胎内
明治5年(1872年)当時の宗岡村(現在の志木市宗岡地区)にあった富士講である丸藤講の人たちにより、関東ローム層(赤土)を歩って作られました。奥行き16.2mのA路線と、7.3mのB路線があります。田子山富士塚では、妻が産気づくと夫がお胎内に入り、奥に祀られていた仏像に安産を祈願したといわれています。よくよく見ると、入口も狭く私には無理そうだった。

ここまで来て見れなかったのは残念ですが、次回のお題として引き出しにしまっておきましょう。

ちなみに、御胎内に興味があればこのブログを見てみて下さい。

船津胎内樹型に入洞①~④