続日本100名城 滝山城跡へ④

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本題に入る前に、北条家について少し書いてから進めたいと思います。皆さんもよくご理解頂いていると思いますが鎌倉時代に登場した、源頼朝の挙兵に協力し、鎌倉幕府の創立に尽力した、鎌倉北条氏(かまくらほうじょうし)はなく、戦国時代に関東地方を支配した大名家であり、初代の北条早雲(伊勢新九郎入道宗瑞)から始まり、氏綱、氏康、氏政、氏直の五代にわたって関東地方で大きな勢力を築いた、後北条氏であり、鎌倉北条氏とは全く(と思う)縁続きではない、北条家です。初代の、北条早雲(ほうじょう そううん)、本名は伊勢新九郎盛時(いせ しんくろう もりとき)はまさに下剋上の象徴的な人物です。彼はもともと室町幕府に仕えていましたが、堀越公方を倒して伊豆国を手中に収めました。この行動は、下位の者が上位の者を倒して権力を奪う「下剋上」の典型例です。戦国時代初期の武将で、後北条氏の初代です。彼は室町幕府の申次衆や奉公衆として仕えた後、戦国大名として台頭しました。下剋上と言えば、美濃の斎藤道三(さいとう どうさん)も主君や恩人を排除してまで出世を追求した「下克上」の象徴とされ有名ですが、如何せん五代続いた北条早雲とは違い何代も齋藤家は続きませんでしたね。たらればですが、齋藤家が何代も続いていたら戦国時代の勢力図が変わっていたかもしれませんね。話しを元に戻します。

中の丸(本丸の次に重要な曲輪)

緩やかな坂を登って行く。当時の様子はうかがい知れないが色々と仕掛けがあったのかもしれない。

広い広場が現れた。ここには腰かけるベンチが複数基ありました

中の丸

東西約70M、南北約100Mの広さがあり、かつての滝山城では、最重要の政庁施設があったと考えられています。守りも非常に硬く、東に9Mの深い空掘、北には70Mの高さの岸壁、南は15Mの深さの空堀と、三つの馬出しを持つ「二の丸」を擁しており、これらが、本丸に比べて規模も大きいことから、北条氏照は大石氏から城を譲り受けた後に、大規模な改修で完成させたもので、本丸より時代が新しいとも言われています。

この滝山城跡の中で唯一のトイレ(だと思う)なので、大変助かりますね

トイレを背にして、歩いて行くと正面には瓦屋根の建物があります。これは、当時の建物の名残ではなく、かつては国民宿舎として利用されてた「旧滝山荘」です。

この「旧滝山荘」の裏手は、多摩川を望む景色いい場所になります。

東屋風の建物があり、さらにベンチのあるので周りの開けた景色を眺めながら、多摩川を渡河してくる敵軍の進入をあの辺りから攻めて来るのかな?なんて想像力を働かせるのもいいかもしれない。

二の丸から多摩川の眺め

昔とは河川の幅も大きく変化していますが、ここまで攻め込んでくる敵軍の体力はすごいものですね

ここで、ARアプリ起動してみた

臨場感がありますね

本丸への引き橋

中の丸を攻略すれば、あとは本丸残すのみ・・・

しかし本丸に攻め込む前に、本丸と中の丸を分断する大堀切に掛かる「引き橋」が出てきました。現在では堅牢な橋ですが、この「引き橋」を壊して本丸への直進を防ぐための工夫が設けられて現在ではそのようなことはことはないので本丸に侵入します

中の丸よりも狭い広場に到着。ここが、「本丸」

本丸には「史蹟 滝山城跡」の石碑がありました。

石碑の横には・・・「滝山城本丸●の碑」も並んでいました

本丸は二段構えになっていて、階段を登って行くと、町村出身の戦没者を祀る霞神社がありました

さらに霞神社脇を歩いて行くと、金毘羅社がありました

本丸からの眺め

金毘羅神社の先に進むと、展望の開けた場所が出てきます、北条氏照もこの景色を幾度となく眺めて何を思ったのでしょうか?まずは、目の上のたん瘤である、武田家さらにその先の上杉家を打ち破ることだったのでしょうか

大堀切への道

眺めを堪能した後は、大堀切に降りることにしました。鳥居をくぐると

かなり急な階段を下ります

一番下まで下り切って上を見上げて一枚撮影しました。現在でもかなり深い堀だと思ったのですが、当時は試掘によるともっと深かったらしいです。引き橋を壊されて、一番下から本丸に攻め入るにはかなりの労力と犠牲者が出たことがうかがい知れますね。上から、弓矢・火縄銃・大きな石(これは私の勝手な想像)が振りかかりながらの攻め手は大苦戦したに違いありません。

石畳がひかれた道を歩いて行きます。遠くに「引き橋」が見えてきました。

築城家たちは、城の防御性を高めるために様々な工夫を凝らし、城の設計や構造を考えたものだと感心するしかありません。

引き橋の真下から橋を撮影

まだまだ見どころは沢山ありますが、また別の機会に来たいと思います。

滝山城跡はこれで終わりにします。次回は、これまた北条氏照が築城した「八王子城跡」ブログをアップしたいと思います。ではまだ、お会いしましょう。最後まで、読んでいただきましてありがとうございました。