続日本100名城 滝山城跡へ①

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滝山城は、自然地形を巧みに利用し、巨大な空堀で主郭部を囲まれています。中世城郭の最高傑作ともいわれ、遺構もよくよく残されています。滝山城が築かれた加住丘陵は東西に長く、北は多摩川に浸食された急峻な断崖、南は谷戸が入り組んだ複雑な地形になっています。こうした地形をを利用した滝山城の特徴は、「二の丸の集中防御」です。「二の丸」は三つの尾根が集中していて、各々に「馬出」を設け、「二の丸には敵を絶対入れさせない」という堅固な構えになっています。永禄12年(1569年)10月2日に甲斐の武田信玄が上野(こうずけ)から武蔵に侵入して滝山城を攻撃した際に、北条氏照が、当時同盟関係であった上杉謙信の重臣に出した手紙によると、城下に兵を出して戦ったとあります。その後、氏照は甲斐を重視して八王子城の築城に取り掛かり、天正15年(1587年)ころまでに、移って行ったと考えられています。

滝山観光駐車場から滝山城跡入口まで

利用時間は、8時から18時まで(11月1日から2月末日までは16時まで)

料金は無料です。

所在地:八王子市丹木町3-81(滝山街道「丹木町三丁目」交差点すぐそば)

駐車場には、ポストのようなものがあり「滝山城城攻めマップ」が置いてあるので、ぜひ地図を見ながら歩くことをお勧めします。

駐車場を背に、左側に進みます

公共機関を利用する場合は、京王八王子駅・JR八王子駅北口から秋川駅行き・サマーランド行き・戸吹行き・戸吹スポーツ公園行きバスで「滝山城址下」(乗車時間約25分)下車となります・

バス停から1分ほどで、立派な石碑があります。

石碑の横には、ARアプリで蘇る「滝山城跡」の看板がありQRコードを読み取ると、無料でアプリがダウンロードできます。駐車場でもらった地図とこのアプリがあればこれから向かう滝山城址見学が楽しめると思いますので、ぜひどうぞ!

この看板の過ぎるとすぐに「滝山城跡」入り口です

滝山城跡入口から小宮曲輪

両側に民家の立ち並ぶ道を進みます。左手には自動販売機があるのでここで購入するのもいいかもしれません。

道の両側を整然と並んだ竹の中を歩いていく。道は緩やかな登る坂に変わる。あたかも、滝山城二の丸を目指す、足軽の身分になりながら・・・

この道はあとから作られた道なのだろうが、この道を進んで行くと両側に隠れている北条軍からの攻撃を受けることになりそうだ。

右側に朱色の建物が見えてきたので、見に行くことにしました。

石段を登って行くと

広場のような場所に出たさきには、鳥居と御稲荷さん

中を覗き込んで見ると、神様の眷属(けんぞく)であるキツネ様が二体

お参りを済ませてみた道に引き返す

左側に付けられた道がもしかすると、本来の道なのかもしれないなんて考えながら歩いて行くと、最初の遺構説明板が現れた

ここで、ARアプリの登場です。攻め手がこの道を進んで行くと横から、守り手が横から出て来るという事ですね。敵の攻撃をさらりとかわし、先に進む

さらに進むと右側に三の丸の案内板がありました。

三の丸方面に行く前に、小宮曲輪がありました。

小宮曲輪(家臣屋敷)

「小宮曲輪」と称されてきているので、氏照の家臣の中に西多摩地域出身の小宮氏が活躍されていたと思われる。小宮曲輪の内部は、土塁(土盛り)でいくつかの屋敷に区切られていたと考えられる。小宮曲輪と三の丸との間には桝形虎口(出入口)があったが、車道により消滅した。

この小宮曲輪の分岐の先には、地図の上で②のポイントである小宮曲輪・そして③のポイントである小宮曲輪桝形虎口(北の備え)・④のポイントである山の神曲輪があるのですが、残念ながら道の補修のため通行止めとなっておりました。作図は中田正光さんのものです。

小宮曲輪桝形虎口

山の神曲輪方面から小宮曲輪へと攻め進むには、桝形虎口(出入口)を通過しなければならない。敵は狭い通路を一列縦隊にならざるを得ない。それに対して城兵は、敵の頭上や側面から弓矢・槍・鉄砲で攻撃する。敵にとっては手ごわい場所に攻め入ることになる。

山の神曲輪

民衆の避難場所と推定される。「山の神」とは全国各地に残る民間信仰で、農耕の神である。春は里に下り、空きは収穫を見守ると山に戻って行く。この山の神を祀る山の神曲輪は、城下や周辺村々の民衆たちを、敵の乱取り(放火や略奪)から守るために設けた避難場所であったと考えられる。永禄12年(1569年)、城周辺の村々は武田軍(武田信玄)によって焼き払われた。この時民衆は領主の城(滝山城)へ避難していたと思われる。

今日はこの辺で