地獄の窯が開く日 新宿太宗寺③

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地獄の窯が開いて、閻魔様を間近で拝観

ここで今までのおさらい

太宗寺について

新宿区指定有形文化財の絵画を見学

閻魔堂

閻魔堂の前では、お線香の販売をしていたので(一束100円)私たちが来たということを閻魔様にお知らせする意味でお線香を手向けます。

あの世に地獄があるのかどうかは、わからないが死んでまで絵画に出ていたような体験はしなくはない

賽の河原や血の池はたまた針の山・・・

お線香の煙は、あの世とこの世をつなぐ橋渡しになるともいわれているようなので、この煙を通じて閻魔様にお願いごとをした。

お正月とこの時期以外は、閻魔様には直接拝観することは出来ない。このボタンを押すことによって照明が1分間点灯するのでその間だけの拝観になる。正面の閻魔像はこの明かりによって拝観できるが、左側の奪衣婆像は、よく見ることは出来ない。

いよいよ閻魔像と対面

地獄の窯が開かれる時期だけ、格子越しではなく直接間近で見れるのだ。

この「閻魔像」は、木造で、総高は550センチメートル。文化11年(1814年)に安置されたもので、制作もそのころと推定される。(関東大震災で大破し、体は昭和8年に作り直したもの)江戸時代より「内藤新宿のお閻魔さん」として庶民の信仰をあつめた像で、かつては藪入り(1月と7月の16日に商家の奉公人が休暇をもらえる日)に縁日が出て賑わいました。また、弘化4年(1847年)3月5日に泥酔者が閻魔像の目を取る事件起り、錦絵になるなど江戸中の評判になりましたとある。いつの時代にもこのような蛮行をする輩はいるものなんですね。

顔のドアップ(なんとなく笑いているようにみえるは私だけだろうか)

閻魔像の右脇には・・・嘘つきの舌を抜くという、「やっとこ」[ペンチ」です

念願の奪衣婆像(だつえば)

木造で、総高240センチメートル。明治3年(1870)の制作と伝えられます(昭和8年に改作の可能性あり)奪衣婆(だつえば)は、閻魔大王に仕え、三途の川を渡る亡者から衣服を剝ぎ取り罪の軽重を計るとされ、この像でも右手には亡者からはぎ取った衣が握られています。また衣をはぐところから、内藤新宿の妓楼の商売神として信仰されたようです。

顔のドアップ(閻魔像に比べてかなり怖い)

このほかにも、この太宗寺には文化財がある。

銅造地蔵菩薩坐像

銅像で像高は267センチメートル。深川の地蔵坊正元が発願した「江戸六地蔵」の3番目として正徳2年(1712)に造立されたもので、製作者は神田鍋町の鋳造師太田駿河守正儀です。ちなみに「江戸六地蔵」は、

品川寺(品川区)
東禅寺(台東区)
真性寺(豊島区)
霊厳寺(江東区)
永代寺(江東区)*地蔵は現存しない
太宗寺(新宿区)

塩かけ地蔵

願掛けの返礼に塩をかける珍しい風習のある地蔵尊です。

三日月不動尊

布袋尊像

三日月不動像

閻魔像を間近で拝観したい場合は、来年1月に拝観できます